大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大津地方裁判所 昭和62年(わ)538号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件公訴事実は

「被告人は

第一  自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和六二年七月二三日午後七時四四分ころ、普通貨物自動車を運転し、滋賀県草津市南山田町七六〇番地の八地先道路を琵琶湖岸方面から追分町方面に向け時速約四〇キロメートルで進行中、さきに飲んだ酒の酔いの影響により、前方注視が困難になったのであるから、直ちに運転を中止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、前記状態のまま運転を継続した過失により、同日午後七時四五分ころ、同町二三〇番地の三地先付近道路に至って意識不明状態となり、折から対向してきたD(当二三年)運転の普通乗用自動車に気付かず、道路中央付近において、自車右前部を同車右前部に衝突させ、よって同人に対し、加療約一週間を要する頸椎捻挫、右肘裂創等の傷害を、自車同乗者B(当三九年)に対し、不治の両上下肢完全麻痺の後遺症を伴う頸髄損傷の傷害をそれぞれ負わせ

第二  酒気を帯び呼気一リツトルにつき〇・六三ミリグラムのアルコールを身体に保有する状態で、前同日午後七時四五分ころ、前同町二三〇番地の三地先付近道路において、前記自動車を運転し

たものである。」というのである。

二  被告人は、当公判廷において、右公訴事実につき、自己の運転行為を否認し、本件事故当夜は瀬田のスナツクに飲みに行くつもりで同療のB、Cを同乗させて前記普通貨物自動車を運転し、稼働先であるA興業の飯場を出発したが、途中酒屋の前で三人とも車を下り、めいめい自動販売機の酒を飲んだのち、Bと運転をかわったので、本件事故当時同車を運転していたのはBであり、被告人は助手席に乗っていた旨の供述をしている。

三  関係各証拠によれば、前記日時場所において前記態様と結果の交通事故が発生したこと、被告人とB、CはA興業に雇われている仕事仲間であること、事故を起こした前記普通貨物自動車(以下「ジープ」という)は被告人の所有であり、同車が右事故の前に被告人の肩書住居のA興業飯場を出発したときは被告人が運転し、助手席にBが、後部座席にCが同乗していたこと、事故当時同車は幌をはずし、フロントガラスも倒して運転されていたこと、事故直後Bは運転席と助手席の間に挟まって仰向けに倒れており、Cは路上に放り出されていたこと、相手車を運転していた前記Dが事故直後ジープの近くまで馳け寄ったとき同車の助手席側(北側)に被告人が立っており、その着衣が泥でひどく汚れていたこと、現場道路脇は北側が田圃、南側が畑であったこと、被告人は事故直後から運転していたのは自分であると言っていたこと、なお被告人ら三名は前記飯場を出発する直前に飲酒しており、Bは以前自動車の運転免許を有していたが、その後取消され、右事故当時無免許であったことが明らかに認められる。

四  そこで被告人の捜査段階における自白の信用性について検討するに、

(一)  被告人は、事故直前の状況について殆ど記憶がなく、衝撃を受けてはじめて事故に気づいたもので、飲酒酩酊していたことがその原因である旨供述している。この供述に沿って公訴事実も酒の酔いのため意識不明の状態に陥ったとしているのであるが、司法巡査佐藤弘人作成の捜査報告書によると、被告人が同夜ジープを運転してA興業飯場を出発したのち本件事故現場にいたるまでの同車の走行距離は約二六・四キロメートルもあり、意識不明に陥るほど酩酊している者が二〇キロ以上も運転していたというのはやや不自然であるうえ、司法巡査作成の酒気帯び鑑識カードによると、同日午後九時頃の調査ではあるが、被告人は歩行能力、直立能力とも正常に近いのであって、事故直前の状況不認識が酩酊によるものではなく、自己が運転していなかったことによるものではないかと疑わしめる余地がある。

(二)  その疑いは次の点でさらに濃厚である。被告人の司法警察員に対する昭和六二年七月二四日付(検乙二号証)供述調書において、被告人は、「(衝突後)私の車は少し振られながらほぼ道路中央の〈3〉地点に停ま」った旨述べている(第一三項)。しかし司法警察員作成の各実況見分調書添付の現場見取図によると、事故後道路に印象されていたジープのタイヤ横すべり痕の軌跡からして、ジープは衝突後後部を左に振り、そのまま時計回りに一回転しながら前進し、道路上の右見取図停止位置に停ったことが認められるのであって、被告人の右供述は経験を述べたものとは認めがたい。

(三)  また、被告人は、右供述調書において、事故直後ジープの助手席側に立っていた理由を、「Bが運転席と助手席の間に挟まれた状態だったので助けおこしてやろうと思い、運転席から降りて車の前から助手席の方にまわった」旨述べ、着衣が泥に汚れていた理由を、「その際酔っていたことから道路左側の田圃にはまってしまった」旨述べている。しかし、被告人が運転席にいたのであれば、運転席と助手席の間に挟まって倒れていたBを助けおこすのにわざわざ助手席側にまわる必要はないし、停止していたジープの位置は、前記実況見分調書添付の現場見取図及び写真〈7〉によると、助手席側車体から田圃(道路端)までの距離が一・三メートル(車体前部)ないし〇・九五メートル(車体後部)もあって、人が歩くのに充分な余地であり、前記酒気帯び鑑識カードによると、被告人は約一〇メートルを正常に歩行したというのであるから、被告人が車の前から助手席側にまわるときに田圃に落ちたとはたやすく認めがたい。

(四)  なお、被告人の捜査段階における自白に沿う他の証拠としてCの司法警察員に対する供述調書が存在するが、右調書によると、Cは、ジープで前記A興業飯場を出発したときは被告人が運転し、Bが助手席、自分が後部座席に乗っていたが、酔いのため途中で眠ってしまい、気がつくと被告人が事故をやったらしく、自分は道路をだれかと歩いていた旨述べ、「中川が飲酒運転で事故をしたことだけはわかります」と断定しながら「中川の運転についてはわしはよくわからん」「事故がどうして起きたのかさっぱりわかりません」と供述するのみで、事故発生までの被告人の運転状況についてはひとことも述べていないし、他面、仲間同士のことであるから、被告人がBの無免許・飲酒運転をかばって自分が運転していたと言いだせば、Cもこれに合せて捜査官に右程度の供述をすることも充分ありうることであるから、Cの司法警察員に対する右供述調書は被告人の捜査段階における自白を裏付けうる内容のものではない。

五  このように、被告人の捜査段階における自白は重要な諸点で客観的事実と符合せず、自白内容を裏付ける他の証拠も存在しないので措信しがたく、むしろ、その他の証拠からは、被告人が助手席に乗っていたため衝突によってジープが前記認定のとおり一回転した際道路脇の田圃に放り出され、ついで田圃から同車付近の道路に上ってきたので泥だらけで助手席側に立っていたと認めるほうが無理がないし、その場合Bが運転席と助手席の間に挟まって倒れていた点も、運転者はハンドルのため衝突時助手席同乗者よりも車外に飛出しにくいことからして矛盾はない。

さらに、事故後被告人が「運転していたのは自分である」旨嘘を言う動機の有無についても、関係各証拠によれば、本件事故の相手方である前記Dの受傷が比較的軽かったことや、Bの怪我にしても事故当時は外見上傷害の状態がわかりにくく(医師ですら最初は前記認定のような重傷とは診断していない)、Cは殆ど怪我していないことから、被告人は事故直後はDとBの傷害の程度をさほど深刻に考えていなかったことが認められるので、本件事故の刑事責任を比較的軽く考えた被告人が、どうせ無免許でしかも飲酒酩酊していたBに自己所有の車を運転させた責任は免れない以上、自分の飲酒運転による事故として処理してもらったほうが被告人ひとりの責任で簡単に事態を収捨することができ、そうすればBの受傷に保険金が出るし、同人の運転免許再取得を長びかせなくて済むなどと考えたとしても格別不合理不自然とはいえない。

六  以上検討してきたように、本件事故当時被告人が事故車を運転していたことを認定するに足りる証拠がなく、従って被告人に対する本件公訴事実についてはその証明が不充分であって、犯罪の証明がないことに帰するので刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例